つえの里だより 第71号

2016-06-02

第71号

平成28年5月

 

巻頭言「春うらら」

理事長 篠澤國雄

会員をはじめつえの里を利用してくださっている皆様、2ヶ月のご無沙汰ですがお変わりありませんか?

私はこの5月1日に満80歳を迎えました。そして皆様も既にご周知のように皆様にご理解とご協力をいただきながらこの度「黄綬褒章」を受章することができ、11日(水)に皇居へ参り、天皇陛下から戴いてまいりました。

先に厚生労働省の大講堂にて種々説明を受ける中で、大臣表彰は国の表彰であり、今回私が戴いてきた褒章や勲章は天皇陛下から直に戴く物だということを改めて聞かされました。その説明が終わると伝達式が行われ、無事受賞してきました。その後、バスで皇居へと移動し、夜会やレセプションなどに利用されている「長和殿春秋の間」にて直々に陛下からお言葉を頂戴したあと、陛下がご退室なされる時に受賞者の間をお通りになられる途中で、視覚障害者の私と妻のほか数人いた人たち一人ひとりにお声をかけて握手してくださり、思わぬ感動で私は涙顔になってしまいました

被災地に出かけられ、被災者の皆様との交流時、高齢者や障害のある人たちに激励の握手をなされるという話しはよく耳にしていました。でも受賞の席で目の見えない人たちだけに握手。なんと心の行き届いたお方であろうとその余韻が何時までも続きました。次に写真撮影ですが、これは当日の配車順に撮るわけですから集合写真になります。厚生労働大臣表彰の時とは幾らかの違いを感じ、今のその感動の中でこの文章を書いております。

それから実行委員会によりますと、6月5日(日)、11時半から祝賀会を催してくださるようで心から感謝しております。又多くの皆様のご参加を心待ちにしております。

次に「ちいさなたび」の取材ですが、今回は小牧城に大津さん、篠田さんと行ってきました。詳しい記事は大津さんに任せることにして私は取材中にあったことを書きます。それは小牧城に入ってからのこと。こちらからお願いしたわけでもないのに、ある一人のボランティアの男性が心温まる説明のほか、城や石垣の模型など「お手を触れないでください」と注意書きされている物を特別に触らせてくださり、この方の器の大きさに感動しました。そして昼食を摂った店で帰りの駅の方向を案内してくださった。お店の人の心の美しさに感動しました。旅の恥ははずかしがらずになんでも地域の人たちに聞いて知ることは恥ではなく、知ってまたそれを正しく人に伝えていくことが他の地域に住むわれ我々にも言えること。だから人に聞かれたときは心をもって答えよう。

今回は嬉しい話し、二つの紹介で巻頭言を閉じましょう。

さようなら。

 

事務所から

つえの里 管理者 戸嶋 静子

 

皐月の風が吹き渡るこの頃皆様も元気にお過ごしのこととおもいます。

先日、5月11日につえの里の篠澤國雄理事長が黄綬褒章を受けられ、奥様とお二人で式典に出席されました。

ヘルパーも一緒に行ってまいりましたが、詳細は理事長が書かれますのでヘルパーの体験したことを少し書きます。

厚労省での式典終了後、拝謁のためバスにて皇居へ向かいました。バスの中で50分ほど待機した後、宮中の春秋の間へ移動し、篠澤夫妻を所定のところに案内し退出しました。

ヘルパー二人で「この廊下はお正月に皇室の方々が手を振られるところだ」とか「バスが多いね」など見学にいそしんでおりましたら、宮内庁の係りの方から「篠澤様の付き添いの方はいらっしゃいますか?」と呼ばれた為、急いで理事長の後ろに付きました。当然、陛下が見えたら退室と思っていましたら「そのままで」との言葉を聞いたので付き添い、急いで理事長と一緒に事前の打ち合わせを行いました。

拝謁(はいえつ)中は私語厳禁だったため、陛下がみえた時に肩に手を置いたらそのタイミングでお辞儀をするとの約束事を決めました。

打ち合わせの後、すぐに陛下が入室されお祝いのお言葉を述べられました。受賞者の方々の間を歩かれ、5人いた障がいがある方々お一人ごとに握手をしてみえました。理事長の前にこられた時も握手をしてくださいましたが、ヘルパーの私は慌ててしまい思わず理事長の肩から手を離してしまいました。「どうしよう」と思っていたら流石です、その場の雰囲気に合わせて理事長は頭を下げており安心しました。事前の打ち合わせの大切さを実感致しました。

気候も良くなり外出するにはとても良い時期です。皆様方もお出かけしてみてはいかがでしょうか。

 

ちいさなたび

大津 廣子

4月24日(日)前日の夜からの雨も止み、朝方は曇り空だったのが出掛ける頃になると次第に北西のほうから晴れ間が覗き始めました。

今日の目的地は小牧城です。車で行くには高速道路を使えばさほど苦にしなくても大丈夫なんでしょうが、公共交通網を利用するとなるとよくわからない、というのが私の頭の中です。今回は行きは名城線・上飯田線・小牧線と乗り継いで行くことに。それでもまだ私の頭のなかでは上飯田線・小牧線というのが上手く繋がりません。豊田市を9時22分発の上小田井行きに乗り、段々乗客も増えて立ち客も多くなってきた頃、八事で下車し名城線左回りに乗り換えです。ここは手前のホームなのでちょっと楽チン。10時02分に乗って平安通りに28分に着きました。名古屋ドームで沢山降りられたので、ここでの下車はそれほど多くはなくスムーズに降りられました。表示に従ってエスカレーターにて下りるとすぐ目の前に上飯田線の電車が待っていました。電車に乗って解ったことですが、上飯田線というのは「平安通りから上飯田」までで「上飯田から犬山」までは小牧線となっていました。豊田で切符を買った時に、小牧線の分は乗り越し分として後払いと言われたのは小牧線が名鉄電車だったからですね。

さて初めての小牧駅はちょっと寂れた感じのする静かな駅、駅自体は大きいのですが日曜日のせいか人通りは少なく、駅中のお店も閉じたまま。ここからバスで移動することはスマホにて確認済みだったので早速バスの時間を確認することに。名鉄バスと巡回バスとがあったのですが、名鉄バスの方が早く来るということでこちらのバス停で待つことに。しかし・・・、駅着のバスは沢山来るのですが、肝心の小牧城方面が中々お見えになりません。もう一度時刻表を確かめると、えっ!日曜日は運行しません!今回初のボケでした。

気持ちを切り替えて、歩いても行けるよねと駅の中に引き換えし、ちょうど開いていた観光協会の扉を開け、方向、行き方など尋ねたら、歩いて行くのか?とちょっとびっくりされ巡回バスなら日曜日でも走ってるよといいながらも親切に教えてもらい、今度は慎重に方向確認し、西口から出発しました。何処の街にもありそうな商店が立ち並ぶ市街地を抜け、お寺が連なり、小牧神明社やメナード美術館などを横目に見ながらひたすら前方に聳える小高い緑の山を目指しました。

本当は市役所を目指していたのですが、途中合瀬川の山北橋で工事中の所があり、橋を渡るにもマップと少し異なっていたため、市役所まで行かずに途中で小牧山の散策路へと入ってしまいました。本当は市役所前の大手口から大手道を登るのが一番楽だと聞いて来たのですがその大手道まで中々行き着けず、散歩中の方に聞いたら道は沢山ありますよとの返事。それではと、最初に行き当たった道を選び登り始めたらこれが大変!狭い石段と急坂の連続、汗だくになりながらもなんとかたどり着きました。

小牧城(小牧歴史博物館)に入るのは正面にまたコンクリートの石段があります。そこを避けてちょっと遠回りしてなだらかな坂を上って漸く到着。小牧山は市街地の西に位置し、標高85,9m,総面積21haの小山です。

石段を登ったところに現代風の銅像があるのが妙に気になり「あの変な銅像誰なんだろう?」と呟いて腑に落ちないながらも館内に入り、当然の如く身障手帳を提示したら、申し訳ありませんがこちらでは利用できませんと言われ、一人100円の入館料を払い、中に入ると後ろから誰かに声を掛けられました。「先ほど変な銅像は誰だろうとおっしゃってましたが、あれは19代徳川義親公の銅像です」と教えてくださり、それからずっと付き添って説明してくださったのがここのボランティアの代表の方でした。

小牧山は明治維新後も尾張徳川家の物だったが1927年に義親公より国に寄贈されました。そしてこの歴史館は名古屋の実業家、平松茂氏が資財を投じて建設し、小牧市に寄贈されたものだそうです。1967年に建設され、2007年にリニューアルされたらしいです。中には色々な出土品が展示されております。

小牧山城は信長公が永禄6年(1563)に清洲から小牧へと居城を移しました。小牧山全体に土塁・堀・曲輪が展開し、本丸の周囲には近代城郭のルーツとなる石垣が巡らされ、南麓には武家屋敷や商工業者の町家などが計画的に整備されたらしいです。

4年後には信長公は岐阜へと移り、廃城となりましたが、「小牧・長久手の合戦」において家康公の陣城となったようです。

さて4階の展望室から望むと市街地はもとより北は御嶽山、西は伊吹山が見えるとの説明でしたが、この日は生憎曇り空で遠くは霞んで見えました。ボランティアの方にお礼を言い、小牧山を後にしました。

本当は「しるこサンド」の松永製菓直売店に行って「なましるこサンド」を頂きたかったのですが観光協会の方に正反対の方角だと言われて泣く泣く諦めました。

 

ニュースの目

篠田 進

認知症ガイド本初の作成

豊田市 症状別に整理、家族負担軽減

高齢者の7人に1人に上る認知症患者とその家族が多様な支援を受けられるようにするため、豊田市は市内の医療・福祉サービスの情報をまとめた冊子「とよた認知症安心ガイド」を作り、医療機関や地域包括支援センターで配布を始めた。症状の程度に応じて必要な情報が示され、患者目線の使いやすい構成が特徴だ。    (河北彬光)

医療や介護、送迎、成年後見制度、見守り、行方不明時の備えなど、認知症への公的支援は多岐にわたる。その分、どこで何が得られるのかは複雑で分かりにくい面もあり、市は患者や家族が迷わないようにしようと初めて冊子にまとめた。

症状の程度を「気づき・疑い」から「高度」まで4段階に分け、情報を整理した。例えば3段階進行した「中等度」では、家族の負担が増える時期であることを考慮し、悩みを語り合える「家族会」や配食サービスといった側面的な支援も紹介。関係機関の電話番号や介護の体験談も掲載している。

冊子作りを担当した市地域福祉課の窓口には、介護などに悩んだ末に行き詰まって相談に訪れる家族も少なくない。

主事の野口泰司さん(27)は「深刻さを増す前に『少し困ってきた』くらいの段階で気軽に各機関へ相談してもらい、支援を受けられるようにしてほしい」と冊子に込めた思いを語る。

 

A5判、24ページで6000部を作成。患者や医療・福祉関係者の連絡帳の役割を果たす冊子(豊田加茂医師会発行)とセットにし、医療機関や25ヶ所の地域包括支援センター、市地域福祉課窓口で無料配布している。

 

「超高齢社会」に突入

市 患者は増加予想、対策急ぐ

高齢化の進行に伴い、認知症患者は今後さらに増えることが予想される。厚生労働省の推計によると、2012年の患者数は高齢者の「7人に1人」にあたる462万人。25年には700万人まで増え「5人に1人」となる見道しだ。

豊田市では1月に初めて高齢化率が21%に達し「超高齢社会」に突入した。患者増に対応するため、市は市民向けに「認知症サポーター養成講座」を開催。知識を得たサポーターを増やすことで、地域で患者が困っても助けてもらえる仕組みづくりを急いでいる。

患者情報を市へ登録してもらい、地域包括支援センターや民生委員の見守りに役立てる制度も運用。行方不明になった患者情報を配信し、早期発見につなげる「かえるメールとよた」も登録を受け付けている。

問 市地域福祉課=0565-34-6984

(2016年4月14日 中日新聞 朝刊)

 

活動報告(平成28年3月・4月)

 

3月

2日(水)        相談支援連絡会(相談支援)

4日(金)        サービス調整会議(介護保険)

サービス検討会議(相談支援)

14日(月)        相談支援部会(相談支援)

16日(水)        合同会議(相談支援)

18日(金)        相談支援監査指導(相談支援)

実践教室連絡会

23日(水)        相談支援部会(相談支援)

25日(金)        サービス調整会議(介護保険)

28日(月)        事業所説明会(自立支援)

30日(水)        ヘルパー研修会・定例会

 

4月

5日(火)        サービス調整会議(介護保険)

6日(水)        地域自立支援協議会・相談支援部会

(相談支援)

7日(木)        相談支援連絡会(相談支援)

20日(水)        相談支援部会(相談支援)

21日(木)        理事会

25日(月)        サービス検討会議(相談支援)

26日(火)        サービス調整会議(介護保険)

27日(水)        相談支援部会(相談支援)

 

編集後記

今年は例年に比べ、まだ1つも台風が発生していないそうです。7~9月に掛けて台風が発生するようで、季候も不安定でとても暑い夏になるという予想も聞きます。今の時期から、しっかり水分補給をするなど、体調に気をつけてお過ごしください。

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